愛の波動

ミャンマーのフローライトに出会いました。

先月にもフローライトのことを書きました。
https://crystal.localinfo.jp/posts/6964216
この流れの中、またフローライトが登場です。

世界各地で産出されるフローライトですが、
ミャンマー産のフローライトとは
初めての出会いです。

ミャンマーの石は以前にも御縁があり、
4年前、ミャンマー産のクォーツから、
鉱物のエネルギーについてレクチャーを受け、
たくさんの気づきがあったことを思い出します。

おはなしをフローライトに戻し、下の写真。
光に透かして見て初めてわかる色がある。
光に透かしてみなければ、
この美しさには気付かずにいるかもしれない。
一晩近くに置いて寝たら、
夢の中でクレンジングが起こっていました。
洗顔のクレンジングは、
お化粧が浮き上がり水で流しますが
そんな感じのことが、
体内のエネルギーレベルで
起こっていました。
そして朝は、台風が過ぎたようにすっきり。

このすっきりの感覚の中で、
思い出したことがありました。

数日前のこと。
道を歩いていて、重いエネルギーの方が
こちらに向かって歩いていました。
横を通り過ぎたとき、その方の背後に
たくさんの霊を感じました。
その方の想念が、沢山の同じ波動の霊を
磁石のようにくっつけていました。
少し湾曲した道だったこともあり、
わたしの身体は、霊の行列に当たりました。
怖い感覚はなく、ただそうなのだと、
肌で感じました。
でも、わたしの中に残ることはなく、
わたしのことには気づかずに、
霊の行列は通り過ぎていきました。
何事もなかったかのように。。

セコイアクォーツの言葉を思い出しました。
https://crystal.localinfo.jp/posts/6695801
「わるいのではない  気付いていないのだ」
そうです。
重さから抜け出すことに気付いていない。
ただ、それだけなのです。
自力で気付き、魂レベルで真に求めなければ、
助けても、すぐに元の木阿弥です。

さらに思い出した言葉は、
新約聖書のキリストの言葉です。
「求めよ、さらば与えられん」
キリストの言葉は、キリスト教を
信仰する人のために限らず、
人類全てに、愛の本質を伝えています。
求める、という質そのものに
汚れなき純粋さがあると天に届き、
必要なだけ受けとることができます。
求めることに汚れがあるときには、
それを認め許し精進することで、
その質は同等になります。

何を言いたいのかというと、
自分の波動の面倒は、
自分で見なければならないということです。

それには、自分の軸を強化して、
自分を助け、自分を励まし、
他者を励ますことが大切なのだということ。

知らないことがわるいのではなく、
ただ、知らないのだということ。
ただそうであることを、
ありのままに受けとること。

どの石たちも、エネルギーレベルで、
少なくとも人が認識できる
二つ以上の面(ファセット)をもちます。
本来はもっと多くのファセットがあります。

石達は持ち主の状態を反映する鏡となります。
石達の面倒をみることは
自分自身の面倒をみることであり、
逆も然り、
自分自身の面倒をみることは、
石達の面倒をみることです。

ただそうであることをありのままに受けとり、
自分に責任を持ち、波動を上げていくこと。

このフローライトは、わたし達が、
自らの波動に責任が持てるように、
軽やかさを分けてくれているようです。

思考と精神を整えて。
あなたに語りかける、石達が待っています。
石の扉を開く鍵、
それは、一人一人の中に必ずある、
愛の波動なのです。

Crystal Flying by NATUEL

慧胡です。 多様なクリスタル、 多次元にわたるクリスタルについて、 ランダムに綴るブログです。 クリスタルの今とわたしたちの今を、 飛行を操縦するように注意深く、 そして空から眺めるように心地よく、 時に地中に入りながら、 地上に響く石達の声を、 コトノハとして綴ります。 2021年より、Elf のチャネリングを 公開しています。