封印された精神を解く
いつも石ブログをお読みいただきありがとうございます。慧胡です。
今は旅の途中、京都に居ります。
この写真は本日、京都御所内で撮影をしたものです。水場ではないのですが、水のような光が差し込みました。
数ヶ月前から京都に来ることは決めていたのですが、約10日程前のわたしの誕生日の朝、何かに呼ばれてベランダから空を見たら龍の形の雲に「高千穂へ」と言われ、産土神社へ参拝をしたらそこでも「高千穂へ」と言われ、偶々スケジュールも調整可能な状況で、京都の前に熊本から宮崎の高千穂へ行くことになりました。
熊本は、信頼する友人達から弊立神宮に呼ばれていると言われていたので、今回の旅の行程には必須にしていました。今日は、弊立神宮にある八大龍王の聖域の池で受け取ったメッセージからの気付きを、新鮮なうちにシェアしたいと思います。
「常滑の精神で自身をあらためよ」
水神様は厳しさを持っていますが、その厳しさは優しさでもあります。何故なら、わたしたちは成長のために生きているからです。
常滑(とこなめ)って何だろう。。常若(とこわか)は、伊勢神宮の20年に一度の式年遷宮のように、大事なものを見失わずに変わり続けることを意味する、と聞いたことがあります。
常がつく言葉では、常磐(ときわ、とこいわ)などが思い付きますが、常節(とこふし)は巻貝、、と考えていたら、このお宮の鳥居の龍が巻いていました。。
そしてメッセージが。
「封印を解く 本来持つ精神」
なるほど。「常」にもう一文字が付いて、その言葉について考え感じて、わたしたちが封印していた力を取り戻す、ということかもしれない。それは、問いから考える力であり、内側の精神の力を取り戻していくことになる。
いろいろな常が最初に付く二文字の言葉を調べてみたところ、単に状態を表すものと、考え感じてみる価値がありそうな文字もありました。もしかしたら、単に状況を表すと今は思う常が付く言葉も、タイミングにより響くことがあるのかもしれせん。
常滑は、水の中の水苔のように滑らかなことをいいますが、それは状態で、精神としての常滑を水の中に居る感覚で感じてみました。
「水の中にある栄養。どのような場所にいても、その場所で滑らかに栄養を得る。」
なるほど。このような精神で居ることができたら、次の段階が自然と向こうからやってきそうです。わたしたちは、本来の精神、本来の力を封印していたのかもしれません。そして、その封印は、もう解いてよい時期に入っているということですね。
今回の旅で、まだ旅の途中ではありますが、龍と共に在る水神様をそれぞれの場所で感じています。一つのエネルギーを違う角度で感じ、違う名になっているような。。水神様にはいろいろな呼び名があることもわかりました。龍神、瀬織津姫、八大龍王、罔象女神(ミズハノメノカミ)、弁財天、高龗神(タカオカミノカミ)と、その対となる闇龗神(クラオカミノカミ)、などなど。。龗(オカミ)は龍神を示すそうです。
今回の旅の全てに、水神様のお導きがあります。見える世界、見えない世界は協働している。一人は一人ではない、ってわかりにくいかもしれませんが、わたしたち一人ひとりの内なる精神に見合う、または共鳴する格の見えない存在が、生きている人を支えています。それは、ご先祖様かもしれませんし、血を越えた守護する存在たちかもしれません。生きている人は、見えない存在に支えられていることに感謝をして、自らと向き合いながら、日々この瞬間の命を大切に生きていきたいものです。
今日もお読みくださりありがとうございます。このシェアが、読んでくださる方々の心に響くものがありましたら幸いです。
慧胡
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