時を超えた世界
わたしは、時を超えた世界に、
子どものころから憧れていました。
時のある、時間に縛られた世界が、
どこか手持無沙汰だったのかもしれません。
かわいくない子どもですが(笑)
既成事実という言葉がありますが、
これは、既にある、
世に認識されている事実をいいます。
・既成事実を作る
・そのような既成事実はない
など、例文としてあげますが、
そもそも、既成事実ってなんだろう?
というわたし自身の疑問を紐解いていきます。
なぜ疑問に思ったかというと、
瞑想のときに受け取ったある言葉からでした。
「意味を持たぬとき、
その事実は既成されることはない。
無理に既成するのではなく、
ありのままに。」
ちょっとややこしいような、
奥にある真実をみつめたいとき、
クォーツのサポートを得ています。
クォーツはクリアに物事の真実を視る
手助けをしてくれます。
「意味を持たぬとき、
その事実が既成されることはない。」
そもそも、既成とは認識であり、
既成に意味は存在しないし、
認識にも意味はない。
この言葉を、肯定に置き換えると、
「意味があるから、
その事実が既成される。」
共通認識として意味を成すので、
意味を見出せないことに、
既成事実は居ることができないのです。
正しいとか間違えているとか。
その考えが分離を生んでいるのですが、
その分離の世界を体験するのが地球です。
地球を離れると分離がないので、
わざわざ体験したいと願ってきた事を忘れ、
分離に没頭しているのがこの世。
あなたとわたし、あなたと世界。
ただ、その分離を眺めていると、
自分の軸に気付いていきます。
この軸が、平和と調和に満ちた
世界への入口となり、
時を超えた世界へと繋がっているのだと、
ようやく気付くことができて、
子どもの頃の、
あの手持無沙汰だった感覚が報われています。
「事実を既成すること」は、この世の常。
意味があるから、その事実が既成される。
そこに巻き込まれることなく、
外の世界の既成事実を、
間違えて自分と認識することなく
二元性の世界を美しさと認識できるように、
常に自らを整えていきたいなと思います。
これが自分軸であり、
自分の宇宙と繋がる鍵なのです。
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